

| | HISTORY | BODY | EXTERIOR | INTERIOR | MECHANISM | SPECIFICATION | |
1954'Mercedes-Benz300SL COUPE -History- |
| 戦後メルセデスの復興 |
| 1954年のニューヨークモーターショーでデビューしたメルセデスベンツ300SLクーペは、そのスタイルと走りによって話題となり、今日では伝説的な車となっている。 その300SLが誕生の背景には、第二次大戦で工場の大半を失ったダイムスラーベンツが戦後、1950年代に入り、メルセデスベンツ復興には、既に過去の栄光となっていた国際レースでの復活が必要であるという考えからであった。 そこで、長い間遠ざかっていたレースで勝利を収められるようなスポーツカーの開発を行うこととなり生まれた車が超軽量スポーツレーシングカーの300SLだった。 メルセデスのレースへの復帰 1952年から国際レースへの復帰を果たしたメルセデスは、順調なスタートを切る。 そして、それ以降も300SLによるレース活動は、数々の勝利を手にするという目覚しい活躍を見せた。 しかし1952年10月にはレース活動を一旦休止し今のF1マシンにあたるグランプリマシンの開発に専念する。 これによってグランプリマシンの開発は急ピッチで進み、1954年には再び国際レースへ復帰すると同時に、開発した新型エンジンで世界グランプリへの参加も決定する。 このグランプリマシンは後の"W196"と呼ばれる300SLRである。 300SLRは、300SLのボディにGP用にチューンナップされたW196エンジン搭載の2シータバージョンで、いわば300SLの拡大ユニット搭載モデルといえる。 この300SLRで世界グランプリに参加すると、1954〜55年シーズンには名ドライバーのスターリングモスにより、ミッレミニアを始め、ほとんどのレースで優勝するという偉業をやってのけ、グランプリシーンを席巻した。 300SLRがグランプリシーンを席巻した頃、レーシングカーとして開発された300SLは量産型へ移行していた。 |
| レーシングモデルからロードゴーイングバージョン300SLへ |
彼は、量産型300SLが売れる事を確信したが、当時のベンツ経営陣が量産型の販売に否定的だった為、100台の確定オーダーを入れる事で彼らの首を縦に振らせた。 市販化されることになった300SLは、プロトタイプから市販用に改良が施されることになり、エンジンはM198型と呼ばれる最終プロトタイプにも採用されていたボッシュ製フェールインジェクション装備の水冷直列6気筒SOHCエンジンで、排気量が2996ccの215psを発揮する現代のエンジンにも引けを取らない高性能ユニットをボンネットを低くして空気抵抗を減らす為、左45度に寝かして付けられた。シャシーは鋼管スペースフレームという高い技術を用いて構成され、アルミパネルで覆ったボディで形成するという当時のレーシングスポーツカーと同じ形状で、どの市販車よりも頑丈で軽いマシンをなった。 300SLクーペについて ロードゴーイングバージョンの300SLは、1954年2月のニューヨークショーで登場しました。 当時の価格で6820ドルと非常に高価ではあったが、独特のデザインと高い技術でたちまち話題となり、更にはハリウッドのスターなど著名人が好んで乗ったことで、人々のステータスシンボルとしての地位を築く事になった。 また、ハリウッドだけでなくカラヤンや石原裕次郎、力道山といった有名人も乗っていた。 300SLは、1957年の300SLロードスターの出現で、その姿を消すことになるまでに1400台が生産された。 ガルウイングがロードスターに代わった理由には、もともとレース用で開発されたマシンなので乗り降りの際の不便さなどが市販車用には向いてなかったことや、当時の北米市場がオープンカー流行の兆しをみせていたことなどが要因であったと思われる。 |